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オアフ再発見
イアヌアリ

睦月。Januaryはハワイ語で「イアヌアリ」と発音します。白い息も凍りそうな北米でのフットボールのテレビ中継などを見ていると、冬でも海で泳げるハワイの季候をつくづく素晴らしいと感じます。

チャールズ リード ビショップ氏
チャールズ リード ビショップ氏
(ビショップ博物館所有の絵画より)
1822年1月、極寒のニューヨーク州、ハドソン川を北に遡ったところに位置するグレンズ フォールズの町で、後にハワイ王国で活躍することになるチャールズ リード ビショップが生まれています。
当時のオレゴンに新天地を求め、船で南米を廻り太平洋へ出ましたが、1846年にホノルルに上陸。カメハメハ大王の曾孫にあたるバニース パウアヒ王妃とロイヤルスクールで知り合い、その四年後に二人は結婚しました。カメハメハ三世が統治するハワイ王国が、太平洋の捕鯨基地として栄えていた時代、チャールズ二十八歳、パウアヒは十八歳の時でした。ビショップ氏は王国の国籍を取得し、ハワイで初の銀行を創り、上院議員となり、王国の経済発展と文化の保持に寄与する事となります。

ビショップ夫妻の結婚当時
ビショップ夫妻の結婚当時
(ビショップ博物館所有の写真より)

1884年10月、チャールズは最愛の王妃を癌で亡くします。その一年前に用意されたパウアヒの遺言の十三条には「ハワイに、寄宿舎を伴う男女の為の二校を創立し運営し、それをカメハメハ スクールと名付けるように」と書かれており、氏は妻の遺志を守り、1887年(明治20年)に現在ビショップ博物館が在る「カイヴィウラ」の地に、ハワイアンの子弟の為の学校として「カメハメハ校」を開校しました。

その二年後、学校の敷地内に博物館が建てられましたが、建設の目的の影には、ハワイアンの人々の深刻な人口減少問題がありました。バニース パウアヒ王妃の生まれた1831年(天保2年)のハワイアンの推定人口は十二万四千人でしたが、亡くなった1884年(明治17年)には、その数、何と四万四千人まで減少していました。
人口減少には様々な理由が考えられます。ハワイ王国中期の経済を支えていたのは捕鯨基地としての存在で、有能な船乗りとして捕鯨船に乗り込んだものの、そのまま帰らぬ人となった男性がかなりの数に上りました。金鉱が発見された米国西部に移り住んだ人も居たでしょう。しかし最大の問題は、西欧人の来島に伴い、それまで外界から閉ざされていた土地に島外から入ってきた病気との闘いでした。

カメハメハ王家の末裔として、ビショップ婦人は自国民の急激な人口減少と、他国民の流入と共になだれ込んで来る西欧文化の中で、如何にハワイの文化と歴史を残すべきかと腐心していました。夫妻で欧州を旅行し、英国のビクトリア女王やローマ法王にも謁見し、ミュージアムの有用性もご存知だったのでしょう。民族固有の文化を次の世代に伝え後世に残すべく博物館を創り、収集していた王家に伝わる伝統の品々や、ハワイを象徴する数々の貴重な品を保存し、多くの人々が見学出来るように展示したのでした。
ハワイアンの生徒達の教育と研修を一つの目的に、校内に建てられた博物館でしたので「カメハメハ博物館」と名付ける案もありましたが、カメハメハ四世の寡婦であったエマ女王の推奨で、ビショップ夫妻の意思と情熱を尊重し、王妃の名を採り“The Bernice Pauahi Bishop Museum”と称されることになりました。

さて、2009年8月に新装なった同博物館のハワイアンホールの構成は、夫妻の思いに少しでも近づけようと再検討され、ハワイ固有の文化を示す貴重な品々が、ハワイ語の説明と共に多数展示され、開設当時の趣がみごとに再現されました。そして冬のマカヒキの時期には、古来の習慣に則り、ホールの中央に平和と豊穣の神「ロノ」の象徴が飾られています。

ビショップ氏は、1915年(大正4年)6月にサンフランシスコでこの世を去りました。バニース パウアヒ王妃の亡骸は、ホノルルのダウンタウンの山手に在るマウナアラの王廟に、カメハメハ系の王族と同じ墓に安置されていますが、ビショップ氏は、西欧人ながら王家の一員として、その傍らに墓が設けられ、今でも二人並んで眠っています。

現在カメハメハ校は、博物館の北、カパラマの丘に移転し、その充実した施設と広大な敷地を誇っています。山にかかる雲がちぎれて流れてくる冬の午後、ビショップ博物館から見上げるカメハメハ スクールのキャンパスにはビショップ夫妻の功績を称えるがごとく、虹のアーチがかかって見えます。

ビショップ夫妻の邸宅「ハレアカラー」
ビショップ夫妻の邸宅「ハレアカラー」
(ビショップ博物館所有の絵画より)

カメハメハ校設立当時の建物「ビショップ ホール」
今もビショップ博物館の敷地に残る
カメハメハ校設立当時の建物「ビショップ ホール」
マウナアラ王廟のビショップ氏の墓とカメハメハ系
の王の墓
マウナアラ王廟のビショップ氏の墓(左)とカメハメハ系
の王の墓(右)
ホノルルのダウンタウン「ビショップスクエア」
ホノルルのダウンタウン「ビショップスクエア」
以前、ビショップ夫妻の邸宅が建っていた場所
ビショップ博物館
ビショップ博物館
ハワイアンホール内に飾られているロノのイメージ
ハワイアンホール内に飾られているロノのイメージ


ハワイ語一口メモ
カメハメハ校は現在、小中高を併せ持ち、他島にもキャンパスを広げていますので総称して “Kamehameha Schools” と呼ばれています。ハワイ語でも複数の冠詞「ナー」をつけて「ナー クラ オ カメハメハ」と呼びます。「クラ」は学校を意味します。


浅沼 正和
ビショップ博物館でボランティア ドーセント(案内人)を務め、博物館のメンバー組織の代表機関 "Bishop Museum Association Council" にも参加。ハワイとポリネシアの歴史文化の紹介に力を注いでいる。ハワイ在住通算20年、ハワイ日米協会やアロハフェスティバル等の非営利財団理事も務める。




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